・セルジュ・チェリビダッケ(指揮) ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
音楽が疾走することはない。楽譜の一音づつを積み上げながらしっかりと構築され、その結果の音の塊が「音楽と化」したものを音楽として聴いているようだ。つまり、チェリビダッケが醸し出す「音」(サウンド)は、常に新鮮な音楽に聞こえる。
ベートーヴェンの第4、5の交響曲は、数えきれぬほど聴いて参りましたが、チェリビダッケ&ミュンヘン・フィルハーモニーで聴いてみると、全く新しい音楽を聴いているような感覚に襲われます。その現象のひとつとして、チェリビダッケの指揮は冒頭でも書いたように、響きを徹底的に浄化させて、それを幾重にも重ねて合わせいくような、音の職人的な響きがあるからです。また、全般的にテンポはスローなので、その分長く音が耳に残ることも起因しているかも知れません。そして、それがとても気持ち良いのです。オーケストラのチューニングが優れていることと、ミュンヘン・フィルハーモニーの高い技術力の成果も大いに現れていると思います。
今回ベートーヴェンの交響曲を取り上げましたが、チェリビダッケの晩年は、ブルックナーの交響曲をミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団と数多く公演してくれました。ブルックナー ではより繊細で完璧なサウンドがオーケストラに求められます。弦楽器と管楽器とのバランスも重要ですが、特に管楽器奏者には絶対的な音程の維持が必須だと思われます。それらが100%いや120%達成できたのが、チェリビダッケとミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団でした。